痛快堂治療院 HOME > 院長プロフィール

院長プロフィール

井坂 卓司

昭和29年高田馬場生まれ
AB型、うお座
妻と3人の娘5と母の6人家族と猫2匹

私がこの世界に飛び込むきっかけは自分の小児喘息でした。
親に言わせると1才を過ぎた頃には発症していたそうです。年齢とともに発作もひどく回数も増えました。私は春と秋がとくに辛く小学校時代は遠足や運動会は半分も出席できませんでした。咳と呼吸困難で内科医に気管支拡張剤を注射していただきましたが、間違いなく呼吸は楽になるのですが心臓がバクバクして苦しんだり気分が悪くなったりとなにか無理やりに気管支や胸を広げている感じで、すっきりとしませんでした。

そんなとき母が腰痛で鍼治療を受けていました、好奇心旺盛の子供でしたので母の治療について行きました。母親のはり治療をじーっと眺めていたのを今も記憶しています。「オヤ?腰が痛いと言っていたのにはりを刺してるぞ!痛いんじゃないかな・・・面白いなあ〜」

母が鍼の先生に自分の喘息のことを話したら「苦しい時においで」といわれ、後日発作中に先生のもとを再度訪れました。最初はおっかなびっくり緊張しましたが、いつのまにかおじいさん先生にごく自然に体を預けていました。施術が終わって何とも不思議な体感!呼吸自体はそれほど楽にはなっていません、でも体が軽く喘息発作特有の姿勢がなくなりさらに、あの気管支を無理やり広げられたいやな感覚はありません。大きなバンドで胸を締め付けられたようなあのいやな感覚がなくなっていました。

喘息発作を楽にする方法は一つだけだけじゃないんだ、てっぺんをめざす山登りの道はいくつもあるんだなあと子供心に感じて家に帰りました。

下記画像をクリックすると拡大してご覧になれます

▼ はり師免許証、きゅう師免許証
昭和56年10月30日鍼師免許、灸師免許取得。
その5年後戸籍を東京に転籍、届け出て昭和61年7月14日付で書き換えになりました。

▼経歴

大学在学中は音楽好きが高じて軽音楽部にのめり込み、2回も留年!親不孝者です。
しかしこの事が数年後、後輩の妹をめとる道筋を作ったことは言うなれば、怪我の功名でした。

卒業と同時に呉竹学園(現東京医療専門学校)に入学、昭和56年卒業、はり師・灸師の免許を取得。当時中央区浜町(人形町や明治座の近く)のホリベ漢方治療院(現:人形町)の堀部誠治先生に6年ほど師事いたしました(呉竹学園の松山先生のご紹介)。堀部先生には公私ともに大変にお世話になり、さらに妻まで勉強の機会をいただきました。現在の自分があるのは堀部先生のおかげと思います、大変ラッキーな時代でした。
また当時ホリベビルに「にんじんジュース」「体を温めると病気は必ず治る」等でお馴染みの石原結實先生が最初のクリニックを開設されました。先生の印象はなんて早口な人!石原先生との出会いも自分の人生にとって大きな転機となりました。 昭和60年大田区の鍼灸整骨院に勤務。

また当時ホリベビルに「にんじんジュース」「体を温めると病気は必ず治る」等でお馴染みの石原結實先生が最初のクリニックを開設されました。先生の印象はなんて早口な人!でもそれは短い時間にたくさんの説明を盛り込んでしまうので先生にとっては自然な事だったのです。石原先生との出会いも自分の人生にとって大きな転機となりました。
昭和60年大田区の鍼灸整骨院に勤務。

昭和61年高田馬場に「痛快堂治療院」を開院、同時に(社)東京都鍼灸師会に入会、平成11年ケアマネージャー資格取得、平成18年新宿区鍼灸師会会長、平成19年4月新宿区の介護保険認定審査委員、新宿区と折衝して平成20年1月新宿シティーハーフマラソンの鍼灸ボランティアを開始。平成22年4月新宿区「レガスまつり」に講演と体験で参加。現在(社)東京都鍼灸師会が公益化のため新宿支部の新宿区鍼灸師会において鍼灸の普及活動を通して、多くの鍼灸師・学生を募り公益活動を展開しています。
詳細は新宿区鍼灸師会HP(http://shinjuku-hari.com/)を是非ご覧ください。

家族:妻は日体大卒業後に呉竹学園入学、鍼灸師の免許取得、長女:現在東京医療専門学校(呉竹)本科在籍。

【住所】
〒169-0075 東京都新宿区
高田馬場3-12-14
【アクセス】
高田馬場駅 徒歩5分
※駐車場あり
お問い合わせ

メールお問い合わせ